「こんにちはwasenkinです🙏今日はネパールに数ある民族のうち、『タマン族』についてお話ししようと思います」
ネパールは多民族国家です。
様々な民族が一緒になって生活しています。
その数なんと、125以上!!
それぞれ独自の言語があり、文化があり、見た目も異なる100以上の民族が一国に共存しているというのは、よくよく考えると不思議なお話しです。
どの民族が最初に住み着いたのか?どういう過程で他の民族が入ってきたのか?ネパール語が共通言語に選ばれた経緯は?考えだすと次々と疑問が湧いてきます。
さて、今日のテーマはその沢山ある民族の中のひとつ「タマン族」についてです。
ネパールにおいて人口比率5位と、まずまず多いこの民族。
実はタルプ村を含め、この近辺に住んでいるのはほとんどがこのタマン族です。
A少年もP少年もドゥルガさんもサルミラさんも大家さんもみんなそう。
今日は彼らの歴史や文化について語っていこうと思います。
❶容姿と出自
🔼タマン族の子どもたち
それぞれの民族は見た目も様々。
アーリア系民族といわれるヨーロッパ的な顔立ちの人々もいれば、モンゴル系民族といわれるアジア的な顔立ちの人々も。
そしてタマン族は後者。
日本人に近い顔立ちをしています。
というのも彼らのルーツはチベットにあるようです。
一説によるとこういう歴史が…
でも結局、カトマンズの王が自分の娘をチベットの王に嫁がせる事で平和条約が締結、戦は起こりませんでした。
その後、チベットの王は自国へと戻っていきましたが、多くの兵士がカトマンズ周辺に残り、近隣の人々と結婚。
その子孫が現在のタマン族となりました。
文書としての記録が残っていないので、これが史実だ!とは言えませんが、こういう説もあるようです。
ちなみに「タマン」とはチベット語で「騎馬戦士」という意味。
また、白兵戦最強と言われる「グルカ兵」にも多くのタマン族が在籍しているようで、チベット族の戦士の子孫であるがゆえに、そういう特性があるのかも、と想像させます。
❷言語と文字
タマン族には「タマン語」という独自の言語があります。
この言語はネパール語とは異なるため、他の民族は全く理解できません。
また、同じ部族であってもネパールの西に住むタマン族と、東に住むタマン族では話す言葉に大きな違いがあり、意思疎通が難しいようです。
例えて言うなら津軽弁のおばあちゃんと、鹿児島弁のおばあちゃんがそれぞれ自分の方言で会話しているような感じでしょうか?
文字もネパール語を表記するために使われる「デヴァナガリ文字」ではなく、「チベット文字」に似た「タマン文字」を使用します。
ですが、現在ではそれを読める人はほとんどおらず、忘れ去られようとしています。
ちなみにタルプ村の友人たちも誰一人読めません😅
youtubeにタマン語のニュース番組がありました。タマン文字も使われています🔽🔽
❸タマン族の宗教
主な宗教は仏教です。
祭事は「ラマ」と呼ばれる僧侶たちが執り行います。
ですので、冠婚葬祭は仏教の教えに基づいてラマによって行われます。
葬式に関しては日本とも共通点があり「お通夜」「初七日」「49日」「一周忌」…
などを行います。
と言っても仏教だけを奉じているわけでなく、ヒンズー教の祭りなども行います。
また他の民族と同じように額に「ティカ」を付けますが、「赤」ではなく「白」です。
❹服装
ネパールの民族衣装といえば「クルタ・スルワール」ですが、タマン族には独自の民族衣装「タマンドレス」があります。
一見、日本の浴衣のような作りにも見えますが、トップス、巻きスカート、腰帯からなっています。
普段着として使われることはありませんが、何かのイベントの際には着用します。
これを着た事のあるうちの奥さんの感想は「動きづらい」でした。
でも皆さん平気でこれを着て踊っています。
❺性格
当然個人差もありますので一括りにはできませんが、一般的に言われることと、これまで観察してきたところによると…
彼らの性格は、穏やかで純粋で正直で勤勉。
良い友人、隣人として素晴らしい特質をもっています。
…でもシャイ(笑)
打ち解けるまで結構距離を感じることもありました😄
でも一度心を開いてくれると家族のように扱ってくれます。
本当に素晴らしい人たちです。
さて、今回はネパールに数ある民族の中から「タマン族」についてお話ししました。
最近は日本で働くネパール人が増えているので、皆さんの近くにもタマン族がいるかもしれません。
例えばコンビニなどで名札に「○○・タマン」と書かれてあったら、その人は確実にタマン族です。
ぜひ声を掛けてみてください。
もしかするとシャイなので反応が薄いかもしれませんが、きっと喜んでくれると思います😁